「暑いな」
一面真っ青な空っぽの空を見上げ、ロイは当たり前のことを呟いた。
言ったところで詮無い言葉は、乾いた風に吹き流されていく。
実際、夏の暑さは彼に思考停止を強い、デスクワークなど手を付ける気にもならない。
彼の思考は、同じ所で堂々巡りを繰り返すばかりだ。
ちょうど昨日もここでぼんやりしているところを優秀な副官殿に見つかって、
『無能でない筈の晴れた日に、何を自ら進んで無能になっておいでですか』と
嫌みったらしく叱られたというのに、今日もまた懲りもせず、彼は書類を放り出して油を売っている。

もう数週間、イーストシティには一滴の雨も降っていない。
焔を生むには、これ以上最適な場所もあるまい。つい先週の事件に際しても、
彼の焔は幾人もの人間を焼き、彼は出世の点数を稼ぐことが出来た。
今でも焦げた脂の臭いを思い出すことが出来る程に、空気はカラカラに乾いている。まったく晴天様々だ。
やくたいもないことを考えながら、ロイはついと頬を撫でる生ぬるい風に目を細めた。
先程から断続的に吹く風から、不意に微かな湿り気を頬に感じた気がして、彼は頬を指先で拭う。
だが、空に透かし指先をこねても、そこには乾いた何もない空間があるばかりだ。
ロイは自分の思い違いに苦笑し、目映い天を仰ぐ。そよりとまた、風が彼の髪を揺らした。

砂漠が近いこの土地は、いつだって乾燥しっぱなしだ。
それでも司令部内のこの場所にだけは、不思議といつも水の気配がある。
それは彼にだけ感じられるもので、時に彼の頬を掠め、空気を湿らせる。
その理由は、遠い彼の記憶の中にある。その記憶は彼に様々な初心を思い出させると同時に、
その水の気配を連れてくるのだ。だから、今日も彼は独り空を仰ぎ、遠い日を思う。


震える細い肩、歪んだ表情。
それでも、宙を見据える彼女の横顔は、凛としていた。
表面張力の限界で踏みとどまった涙は、彼女の瞳からあふれることなく、場の空気に蒸散していった。
鮮烈な夏の光線の反射が、彼女の足下に落ちる濃い影の中にゆらゆらと揺れていた。
まるで、蒸散したはずの水が彼女の足下に溜まったかのように。

何年も前に見たあの光景を、ロイは今も鮮やかに瞼の裏に蘇らせる事が出来る。
彼女が彼の副官になった頃、ここは彼女の秘密の隠れ場所だった。
当時、彼は毎日のように彼女を叱り飛ばしていた。
いくら士官学校で優秀な成績を修めた者でも、現場に出ればただのひよっこだ。未熟な者は死ぬ。
それが軍隊という場所であり、ひよこが死なぬよう厳しい程に鍛え上げるのが、上官としての務めだった。
おそらく、彼女もそれを分かっていただろう。負けず嫌いの彼女は歯を食いしばって、必死に彼の要望に
食らいついていた。だが、時として大の男でも反吐を吐くような訓練から落伍したり、ロイの要望に応え
られなかった時、彼女は独りこの場所でただ上を向き、重力に逆らう水を瞳に湛えて立っていた。
そう、今の彼と同じようなポーズで。
そんな彼女の姿を、彼は幾度もこの場所で見かけた。

幾多の抑え込まれた感情をこの場に置き去りにし、彼女は優秀な副官として、今彼の傍らに存在している。
ここで彼が感じる水分は、彼が育てた彼女の過去だった。
乾いた大地に不似合いなその湿り気は、時に激しく彼を叱咤する。
立ち止まっている暇はないのだと。
彼が課した未来を共に叶えるのだと。
くだらない感傷など、この場所に捨ててしまえと。
そう、彼はこの場に決してサボリに来ているのではない。ただ、時々ブレそうになる己を、見つめ直しに来るだけなのだ。
澱のように沈殿した見えない水は夏の風にさえ動かすことは出来ず、彼を優しく雁字搦めに糺してくれる。

「暑さでやられてしまいそうだ」
もう一度詮無き言葉を呟いて、ロイは眩しすぎる陽光に背を向け天を仰ぐ。己の最も大切な目的を確認する為に。
その目的の為には、彼には手段など選んでいる余裕はないのだ。
この場の水の気配に責任を持たねばならない彼には。
一筋の汗が彼の首筋を伝い、そっとシャツの胸元へ流れ込む。
僅かな水分は直ぐに蒸散し、見えない水に溶けて消えていった。



------------------------------------------------- 『逃げ水』 written by 青井フユ




 【Invierno Azul】青井フユさまより戴きました。 いつもあまりにも素敵な文章を書かれるので、
 イベントでお会いした際に「私の絵にお話をつけて戴けませんか」と大それた(!)お願いをしてみたところ、
 ななななんと!!!快く承諾を戴きましたーーー!!!(すごい!器が大きい!)
 と、いうわけで嬉々として自慢すべく戴いた文章をサイトに飾ってみます。にこにこ。
 絵は青井さま御本人に選んでもらいました。私が絵の下に付けていた「暑さでやられてしまいそうだ」
 という言葉をテキスト内にちゃんと盛り込んで下さったんですよ!!あわわわ…!
 鮮烈な光と濃い影が、光と闇を抱えたロイとリザのようで、憂いのある色っぽいタングに
 思わずごくりとしました。唯のサボってますタングが…文の力って凄い。男前8割増し。
 
 素敵テキスト、本当に本当に有難うございました…!
 並びに青井さまファンの皆様、すみませんでした。お前の絵なんかにゃつりあわねぇよ!
 というお叱りはraiの方までお願い致します!


             








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